今日食べたものが明日の自分を作っています

久々に、この言葉を聞きまして、そうそうそうでしたと思った週末に。

 

昨晩、浅草の「かえもん」にて、熊本の阿蘇で「TAO塾」(タオリトリート)を運営している波多野先生のお話と、トークセッションへ出向きまして。TAO塾について、あまり詳しくなかったのですが、作物を作る農業からその場所で生活する全ての行為を含め、それぞれの自立を考えている取組とのことで、とても興味深く。

↓無事に、図解に仕上がりました↓


波多野先生と一緒にイベントを行っている天野先生とのトークセッション時に、「食べたもので自分ができている」という話に。天野先生も忙しさに負けて食べる時間と食べる物をあまり選ばずに食べていた時期があったそうです。

 

これは私にも身に覚えが。夜遅く寝るため、朝早く起きれずイコール炊事をさぼりがちになりまして。

 

食べる物と言えば、出先で立ち寄ったコンビニの弁当で昼食を済ますことが多かったという時期もあれば、夜帰りが遅くなり、24時間営業の安くて速くてそこそこ美味しいお店に通っていたり。それらが我が身となっていたので、病を引き寄せる結果になっていたかと。今思うと恐ろしいですね(苦笑)

 

ちなみに、下のスライドは、夏に食べ忘れた「皮つきハトムギ」と「エゴマ」を軽く炒ったものを冷凍していたうずら豆玄米御飯と共に入れておじやに。

さっぱり味にしたかったので、麦味噌と梅肉で味付けを。

TAO塾では、「 パーマカルチャー」という考え方を元にした生活を目指しているそうで。「パーマカルチャー」とは、ご存じの方もいらっしると思うのですが、人と自然が永続的に共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法のことを指しています。

 

自然を敬いつつ自然にも人間にも優しい生き方をデザインするということでしょうか。このあたりの知識は専門家ではないので、あまり詳しくないのですが、おそらく昔の日本人が普通にやっていたこと自体が、パーマカルチャーに近かったのではないか?と思っています。

 

例えば、馬や牛などの家畜の糞を利用して田畑の土を豊かにすることで作物を育てたり、それで育った稲の残骸となる藁を、今度は牛や馬などの家畜の餌や寝床にするなど、そこにある物を巡らせる暮らしのことではないかと思うのです。

 

幸い、田舎に住んでいた私ですので、現代人には珍しく、その風景をかすかに記憶しています。(遠い記憶に、牛、やぎ、チャボ、と共に生活していた時代がありましたので)

 

今ある物を無駄なくありがたく使わせてもらい、また自然界に戻すというやり方は、もしかすると既に遅すぎる気付きかもしれませんが、地盤の変化や気温の変化などを含め様々な自然災害が多発し始めた現代だからこそ見直すべき姿勢ではないかと思う昨今でもあります。

 

心配性な私が思うことなので少々大げさかもしれませんが、1人の人間という生物として、強くたくましくならなくては、今後の時代は生き延びていけなくなるかもしれないと思いながら・・・もちろん、心配し過ぎずに今をしっかり生きることが第一ですね。

 

群馬県の館林市で農薬や化学肥料を使わずに野菜を育てている飯塚農園さんは、TAO塾のように、「パーマカルチャー」を目標に、我が子にも残したい「農のある暮らし」を実現すべく、マルシェで直接お客さんに接しながら、デザイナーとしてのお仕事もこなしつつ、野菜を育てています。

 

「我が子にも食べさせたい野菜を作る」という親心のこもった野菜たちなので、愛情たっぷりで、色や形が珍しい西洋野菜も時々いただけます。

 

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